CHRIS GALLAGHER

カリフォルニア州 サンタクルーズ生まれ。

地元のPleasure Pointで彼は仲間と共にサーフィンの技術を磨きプロサーファーの道へ。
WCTを転戦。2000年にプロサーファーを引退。
2002年には家族と共にオアフ島ノースショアに移住。
有名シェイパーのエリック・アラカワに影響を受けシェーパーとしてのキャリアをスタートさせる。
独自のGdeckやFang Deckなど先鋭的なデザインにも積極的に取り組んでいる。また、彼のサーフ・コーチングには定評があり、2006年にはハワイのオニール・チームマネージャに就任。
2008~2009年にはプロサーファーのC.JやDamien Hobgoodの専属コーチになった。
現在、クリスは、世界ツアーで活躍する多くのプロサーファーの技術向上を目指し、コチーングを行いながら、更なる新しいデザインのサーフボードの開発にも力を注いでいる。

JHON PYZEL

パイゼルはカリフォルニアのサンタバーバラ出身。子供のころからサーフィンの魅力にとりつかれ、それ以外に興味はなかった。まさにサーフィンのために生きていたパイゼルだが、スポンサーを獲得してプロになる道を目指さなかった。というのもリンコン・デザイン・サーフショップのオーナー兼シェーパーのマット・ムーアにすでに認められていたからだ。
「マットが僕のボードをシェープしてくれたから、彼の店によく行ったんだ。シェープに興味を持ったのはそのころから。だってマットは最高のライフスタイルを送っていたからね。彼はとにかくサーフィンがしたいだけで、シェープしてグラスして仕事を終えたらサーフィン。僕もサーフボードをシェープして彼みたいな生活をしようと心に誓ったのさ。」

シェープに挑戦したのはその数年後だった。「線も上手に描けない奴がアートしようって思うようなものかな。まあとにかく自分のボードを作ってみようってブランクスを買ってやってみた。6’4”かそのくらいのをシェープしてグラスやサンディング、エアーブラシもした。けっこう調子良かったよ。」
1992年に彼はサーフィンのためにハワイのノースショアに移る決心をする。そこでガンボードのビルダーとして知られるジェフ・ブッシュマンと出会う。
マット・ムーアと同じようにブッシュマンもパイゼルの世話をみるようになる。芸術家肌のブッシュマンはジョンにサーフボード製作の全ての工程をハンドメイドで作るようにアドバイスする。定職が無かったパイゼルはハワイでサーフィンが続けられるならとサーフボードの修理からグラス、ホットコート、ラミネートとなんでもこなして生計を立てた。(別の記事によるとハワイに移った頃のパイゼルには仕事が無くホームレスのような生活を送っていた時期があったという)
「でも私がハワイに行ったのはサーフィンのためで仕事をするためじゃあなかったんだ。」とパイゼルは当時のことを語った。

そしてある日、アレックス・フローレンスという女性が3人の子鴨を引き連れてふらりと店にやってきた。6才の長男ジョンジョンのためにボードを作って欲しいとアレックスはパイゼルに言った。彼はそれまで子供用の小さなサーフボードを作ったことがなかったが、それでもとにかくその頼みを引き受けることにした。サクセス・ストーリーがそこから始まった。
パイゼルとジョンジョンは共に成長した。「私のシェーピングは彼のサーフィンと共に育った。」とファイゼルは正直に当時を語った。そして現在のジョンジョンのサーフィンが証明するように、ジョン・パイゼルは世界のベストシェーパーの一人と賞賛されるまでになった。

 


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